2016-3-16

スポンサードリンク


子供の頃、家は流行らない商店で貧乏だった。
母がパートに出て何とか生活できている程度の生活だ。
学校の集金のたびに
母親がため息をついていたのをよく憶えている。
別段、小学校、中学校は何とも思わなかったけれど、
高校の入り、進学を考えた頃から両親と喧嘩することが多くなった。
私は大学に進みたかった。
美大に行って本格的に絵を描きたかったからだ。
しかし進学するのに必要なお金など、どう考えても捻出できなかった。
毎日、昼のパート、夕方からのパートと掛け持ちで働き、
くたくたになっている母親に、
「何で進学できないんだよ!
子供の進学資金も出せないようじゃ親失格だ!」
と言ったことがある。
母親は涙ぐみ何も言わなかった。
その姿にハッと我に返ったが、
ぶつけようのない悔しさが邪魔をしてそのまま謝りもしなかった。
しばらく後になって、
あの時なぜ謝らなかったのだろうと猛烈に悔やむことになった。

母親は事故で亡くなり、直接謝ることは出来なくなってしまったのだ。
パートの帰りの運転中の事故だった。
交差点に突っ込んでの事故で、ブレーキ痕もない、、
過労だと思う、、

葬式の後、母の部屋を整理していて
日記とも家計簿とも取れるようなノートを見つけた。
食費や光熱費、、、私は家計をやりくりした事など当然ないが、
そんな私が見てもギリギリの生活だった。
母親が自分のために使ったものなど何一つなかった。
なのに、、私のための進学のための貯金があった。
ぎりぎりの生活の中で、本当に数百円の単位で毎月貯金してあった。
私が怒鳴ったあたりから、パートの時間が増えていた。
後でわかった事だが、
パートの勤務時間を頼み込んで増やしていたようだ。
増えた分は全て貯金、、

Screen-Shot-2014-06-14-at-17_05_22

新規コメントの書き込み